2012年11月22日木曜日

2012/11/22

Per Molyneux turns to Kickstarter to fund new god game Project GODUS
ポピュラス、フェイブルなどのピーター・モリニューが新作をKickstarterから

Kickstarter:Project GODUS


Indie RoyaleがStuffing Bundleを開始
Stuffingって詰めわせってことですか?




■Vitaで人気のインディーシューティングゲーム、Aqua KittyのOSTがBandcampで公開
Aqua Kitty公式




2012年5月4日金曜日

スマートフォンにおけるFPS、TPSの操作系

FPSやTPSといったジャンルはどちらかと言えばコアゲーマーよりであり、何もスマートフォンで遊ぼうというプレイヤーは少ないかもしれいない。パッドやマウスといったより精密なエイムを行えるデバイスがあるのにも関わらず、なにゆえスマートフォンでシューテングをやる必要があるのかと、多くのコアゲーマーなら感じるだろう。

とはいえ、個人的な感想から言えば、スマートフォンデバイスでシューテングが楽しめないわけではない。もちろんCoDやHaloといった本格的なシューテングと同様なリッチなゲームは不可能だが、シューテングというゲームジャンルの楽しさ自体は十分に拾っているように思われる。

ということで、今回スマートフォンデバイスにおけるシューテングのあり方、特にその操作系を分類することで振り返ってみようと思う。

2012年5月2日水曜日

終わらない窓付きインターフェイス:JRPGとマンガ文化

スマートフォンという広大なプラットフォームの成立の結果、新たな開発者やユーザーがゲームの世界に入ってくる。しかしながら、日本のAndroid市場の保守的な様子には唖然とさせられる。特に有料ゲームの多くはフィーチャーフォンからの移植されたRPGが中心。それも未だにドラクエ・FF時代からの変化をまったくと言うほど感じられないUIなのだ。

なにゆえ、日本人はウィンドウのUIを愛好し、キャラクターの顔が拝めるメニュー画面を見続けているのだろうか?これは単なる開発者の怠慢なのか?おそらく多くの海外のゲーマーや開発者はこのレガシー的なUIを大いに馬鹿にするか、畏敬の念を持って眺めるだろう。

ここに一つの仮説がある。それは日本人に強く根付いているマンガというカルチャーの存在だ。マンガ理論の多くは、それが「絵」、「コマ」、「フキダシ」、「テクスト」で構成されると分析する。ここで言う「絵」と「フキダシ」と「テキスト」という構成は、JRPGにおける「キャラクターグラフィック」、「ウィンドウ」、「テキスト」に相当するのは一目瞭然だ。つまりJRPGとはマンガなのだ。え、そんなの前から知ってた?まあそうだろう...。

だが問題は日本のマンガ文化にはそれ相応の美学があり、進化もあり、発展もあるのだが、JRPGに未来はあるのかという点だ。少なくとも、ストーリーという点でJRPGが多くのマンガに太刀打ち出来ないのは間違いない。今やマンガは文学に匹敵するメディアであり、大人が読むのは当然のことだ。一方で、JRPGは大人になってもやるのだろうか。もちろん、ドラクエやFFにはそれ相応のファンがいるし、NESやSNES時代のレトロゲーム愛好家も多い。かく言う私もサガシリーズに関してはフリークだろう。

だがそういうファンは何も大人としてそれらのゲームを楽しんでいるわけではない。自覚的に自分が懐古的なゲーマーであったり、ある種のカルトであることを認めている。それに大人にそれらのゲームを強く進めることはしないという点だ。結局のところ、多くのJRPGはマンガ文化の豊潤さにはとてもかなわないのである。

ではどこで勝負すべきなのか?ゲーム性?まさか...。

個人的にはJRPG自体がレガシーと化することには感傷的になる必要はない。ある一つのゲームジャンルが廃れることは珍しいことではないのだから。ただJRPG的なUIが残る可能性としてありうるのは、もっとエクスペリメンタルな方向性ではないかと感じている。例えば「ゆめにっき」。RPGツクールというこれまたミドルウェアと呼ぶにはお粗末な箱庭だが、それでもユーザー数に比例してクリエイティヴィティは発揮される。確かにお粗末なUIにお粗末なグラフィック。だが使いようによっては新しい表現が可能であることを、「ゆめにっき」は教えてくれたように思える。その主人公の名前が「窓付き」であったことは偶然だろうか。あれはJRPGに対するある種のセルフパロディであり批評なのではないか。

2012年4月19日木曜日

00年代日本のインディーゲームベスト10

  • Cresteaju 2001
  • 東方紅魔郷 2002
  • X operations 2003
  • 洞窟物語 2004
  • ゆめにっき2004
  • スグリ 2005
  • Elona 2006
  • Hellsinker. 2007
  • Ruina 2009
  • ヴァンガードプリンセス 2009

総評

日本では未だ「インディーゲーム」という言葉はほとんど根付いていない。同様に「同人ゲーム」という言葉も一般的とは言い難いし、それ相応のニュアンスや含みも強い。他方、ここで上げたゲームには「フリーソフト」や「フリーゲーム」として名をなしたものも多い。 

これらのジャンルや概念の混在に多少の居心地の悪さを感じないわけではない。例えば「同人ゲーム」という言葉には
  1. 二次創作が中心
  2. 発表の場所がコミックマーケットなどの同人即売会や同人ショップが中心
  3. オープンプラットホームというより内輪
というような含意があるだろう。それらは部分的には正しいが、部分的には間違っている。またフリーゲームやフリーソフトという言葉は当然、無料であることが強く含意され、海外のインディーゲームが描く外延と一致しない。

このような概念の混在は、日本のインディペンデントなゲーム文化が異なるプラットホームに分断されていることに起因する。もちろん、これらのゲームはすべてWindowsのPCで動くわけだが、その末端のデバイスが単一であるにもかかわらず流通プラットホームはバラバラだ。同人ゲームは上述したように同人誌即売会や同人ショップで流通し、フリーソフトないしフリーゲームはベクターや窓の社といったソフトウェアダウンロードサービスを通じて流通している。

さらにフリーゲームと同人ゲームに対して行われる批評も分断されている。フリーゲームのレビューサイトはすでにかなりの数があり、それらはインターネットを中心として回っている。同人ゲームを紹介したり批評する同人誌もすでにある程度、存在するが、それらは主に即売会や同人ショップを通して流通する。つまり、これらのゲームは遊ぶ端末が一緒であるにも関わらず、文化としては隔たりがあるように思えるのだ。

もちろん、そんな隔たりは徐々に切り崩されているとも言える。特に『洞窟物語』に限っては、MacOSは当然のこと、すでにコンシューマ機にさえ移植されている。その点で、開発室Pixelが日本のインディーゲームのもっとも重要なデベロッパーであることは確かだ。さらに『ヴァンガードプリンセス』のスゲノトモアキ氏はフリーゲームとしてタイトルをリリースしながらも、設定資料集を即売会や同人ショップで販売している。

これらの動向がどう展開するかどうかは未だ不明確だ。しかしながら、iOSやAndroid、XBLA、Steamといったゲーミングプラットフォームの成立が2010年代の日本のインディーゲームに与える影響は大きいだろう。開発室PixelはすでにiOSに向けてミニゲームをリリースして、その後も開発している。Steamで販売を開始した同人ゲーム「サークル」は既に存在する。ドームの中で育ってきた異なる生態系のフリーゲームと同人ゲームという文化が今後も同様に存続するかどうかわからないし、「インディーゲーム」といった名で呼称されるグローバルな動きにつながる可能性もないわけではない。